新幹線をあえて途中下車する理由――なぜ2026年の今、群馬・「高崎 温泉」のディープな湯脈に人が集まるのか
高崎 温泉という響きに、湯けむりが濛々と立ち込める山あいの温泉街を思い浮かべる人はまだ少数派かもしれない。群馬の湯といえば草津の湯畑であり、伊香保の石段街、あるいは水上の渓谷美。新幹線の乗客の大半は、そうした教科書通りの目的地を目指して車窓をぼんやり眺めている。だが、東京駅から上越新幹線でわずか50分、だるまの看板と幾重もの高架橋が交差する北関東最大のハブ都市の直下には、観光ガイドの巻頭グラビアを飾ることのない濃厚な湯脈が脈打っている。
連休を迎えるたびに過熱する有名温泉街の混雑や、跳ね上がる宿泊料金にうんざりした旅人たちが、ターミナル駅の改札をしれっと抜けていく。彼らが目指すのは、きらびやかな歓楽街ではなく、郊外の幹線道路沿いやのどかな田園の真ん中にたたずむ無骨な日帰り湯だ。過度な装飾を削ぎ落とした高崎 温泉の源泉群が、いま感度の鋭い湯客たちの間で静かに、けれど熱狂的な支持を集めている。わざわざ峠を越えて奥地へ分け入る必要はない。むしろ、日常のすぐ隣に湧き出る湯こそが、もっとも身体の芯を射抜くからだ。
草津・伊香保の「手前」で降りる――過熱する観光地からの静かな離脱
観光地が人を呑み込み、疲弊させる。2026年の旅行トレンドを語るうえで避けて通れないのが、インバウンドの集中と宿泊バブルが生んだ「観光疲労」だ。週末ともなれば、有名な温泉地は人波で埋まり、露天風呂に浸かるのにも順番待ちが生じる。一泊数万円を払って人混みを眺める休日が、果たして本当に求めていた休息なのだろうか。
そんな問いを抱えた個人旅行者たちが目をつけたのが、高崎という「あえて立ち止まらないはずだった街」だった。新幹線を途中下車し、ローカルバスやレンタカーでわずか10分から20分走るだけで、観光客向けの演出が一切ない本物の湯にたどり着く。素朴な脱衣場、乾いたのれんの揺れる音、地元の常連客が交わす上州弁。そこには作られた非日常ではなく、旅人が本当に欲していた「息を抜ける余白」が手つかずのまま残されている。
琥珀色のモール泉と純度:住宅街の足元に眠る「生きた重曹泉」
高崎周辺の温泉を語る上で欠かせないのが、その独特な泉質だ。火山性の強い酸性泉が支配する北部の山岳地帯とは対照的に、平野部である高崎に湧くのは、古代の植物堆積層をくぐり抜けてきた腐植質を含む「モール泉」や、重曹成分をたっぷり含んだナトリウム―塩化物・炭酸水素塩泉である。
浴槽に注がれる湯は、澄んだウーロン茶や濃い琥珀色を帯びていることが多い。湯船に身を沈めた瞬間、肌にまとわりつくトロリとした感触。皮膚表面の古い角質を洗い流す「美肌の湯」特有のぬめり感があり、湯上がりには驚くほど肌がしっとりと吸い付く。循環ろ過や過度な加水を嫌い、地下深くから汲み上げた源泉をそのまま掛け流す施設が高崎郊外には点在している。幹線道路のロードサイド店舗の裏手で、これほど純度の高い地球の恵みがドバドバと溢れ出ているギャップに、温泉通ほど言葉を失う。
日常と地続きの贅沢――地元農家と背中を並べる共同浴場の体温
観光地化されたスパリゾートと高崎の温泉を分かつ最大の要素は、湯船を共有する「顔ぶれ」にある。洗い場に並ぶのは、白菜やネギの出荷を終えたばかりの近隣農家のお年寄りや、現場仕事を終えた職人たちだ。誰もよそ行きの下駄を鳴らして歩いてはいない。
「今日は冷えるね」「夕方から風が出るらしいぞ」。湯気の中で交わされる飾らない世間話に耳を傾けていると、自分自身が東京から運んできた余計な緊張感が、じわりと湯の中に溶け出していくのを感じる。ここでは旅行者も地元住民も等しく素っ裸の一客に過ぎない。もてなされる側としての過剰な気負いから解放されることこそ、現代の旅における最高の贅沢ではないだろうか。
「高崎パスタ」の満腹感とぬる湯のまどろみ:胃袋と肌で味わうローカル線
湯浴みの前後を彩るローカルグルメの存在も、この街の磁力を強めている。高崎といえば、言わずと知れた「パスタの街」。大皿に盛られた暴力的なまでのボリュームと、濃厚なトマトクリームやベスビオ風の辛口スープパスタは、ひと風呂浴びて空っぽになった胃袋に容赦なく染み渡る。
熱い源泉と格闘したあとに、昭和レトロなイタリアン喫茶のボックス席に滑り込み、フォークを巻き上げる。あるいは、群馬が誇る小麦文化の結晶である手打ちうどんや、豚肉料理に舌鼓を打つ。そして再び、38度前後の源泉ぬる湯風呂へと戻り、まどろむように半身浴を続ける。胃袋と皮膚感覚が同時に満たされるこのルーティンは、洗練された高級旅館の懐石料理では決して味わえない、泥臭くも圧倒的な幸福感をもたらしてくれる。
ワーケーションの終着駅?ビジネス街の裏に潜む「湯治ホテル」の躍進
近年、高崎駅周辺のビジネスホテル事情にも明らかな地殻変動が起きている。ただ泊まるだけの無機質なシングルルームではなく、敷地内から自家源泉を掘削した本格的な天然温泉大浴場を備える宿泊施設が、平日の稼働率を押し上げているのだ。
日中は駅前のコワーキングスペースや客室でリモートワークに没頭し、夕暮れとともにエレベーターで地下の大浴場へ直行する。あるいは金曜日の夜、退勤と同時に新幹線へ飛び乗り、高崎のビジネスホテルにチェックインして深夜まで湯に浸かる。2026年の都市生活者にとって、高崎は「旅行の目的地」という枠組みを超え、平日のストレスを週末に持ち越さないための「最も手近な湯治場」として機能し始めている。
湯守たちが直面する光熱費と源泉管理――問われるローカル湯の持続可能性
だが、この愛すべき湯の現場にも影は差している。世界的なエネルギー価格の高騰は、動力による汲み上げポンプの電気代や、冬場の加温コストを直撃し続けている。歴史ある日帰り温泉の中には、設備の老朽化と後継者不足に悩みながら、ギリギリの採算で暖簾を守っているところも少なくない。
「入浴料を100円上げるだけでも、毎日来てくれる地元のじいちゃんばあちゃんに申し訳なくてね」。ある浴場の管理人は、湯温計を片手にそう苦笑した。安さと手軽さだけを消費するのではなく、この貴重な湯脈をいかに未来へ残していくか。観光地化されていないからこそ、訪れる側のマナーと適切な対価の支払いが、湯の命脈を保つ鍵となる。途中下車の先にある琥珀色の湯面を見つめながら、私たちはその温もりをただ享受するだけでなく、守り手たちの静かな奮闘にも思いを馳せる必要がある。 (出典: 高崎 温泉(Yahoo!ニュース))