AI全盛の2026年入試、なぜ予備校の「黄金テンプレ」は崩壊したのか——東大が求める英語の正体
東大 英 作文が突きつける現実は、いつの時代も残酷なほどに明快だ。予備校が配る魔法のテンプレートを丸暗記し、小綺麗な接続詞で取り繕った答案が、本郷の採点官の前であっさりと瓦解していく。2026年春、試験会場を後にした受験生たちの口から漏れたのは「型が通用しなかった」という静かな悲鳴だった。機械的な対策が通用しなくなった今、東大が本当に求めている表現力の正体が、輪郭を現し始めている。
スマートフォンを開けば、誰でも一瞬でネイティブ並みのエッセイを生成できる時代だ。だからこそ、作問者たちが練り上げる東大 英 作文の設問には、小手先の技術や借物の知識を容赦なく弾き飛ばす仕掛けが施されている。言葉の背後にある知性の純度を測る過酷な選別。それはもはや、単なる外国語のテストという枠組みを完全に逸脱している。
採点官が嫌う「テンプレート英語」の終焉
「まず第一に、第二に、そして最後に……」。長年、受験界を支配してきたこの判で押したような論理構成は、もはや減点の対象でしかない。予備校関係者が明かす採点の実態はシビアだ。論理の飛躍を埋めるための決まり文句は、読まれることすらなく斜線が引かれることもあるという。
整然としているが、中身が空っぽ。いわゆる「プラスチックな英語」を東大は徹底的に嫌う。文法的な誤りがないことと、読むに値する文章であることの間には、深くて暗いクレバスが存在するのだ。求められているのは、書き手本人の鼓動が伝わるような、不格好でも血の通った論証である。
2026年の設問が炙り出した「生成AIには書けない違和感」
近年の出題傾向を振り返ると、ある明確な意図が浮かび上がる。日常の些細なパラドックス、言葉にしにくい感情の機微、あるいは一見無意味に見える事象への洞察。これらは、大量のテキストデータを統計的に処理するAIが最も苦手とする領域だ。
「綺麗な一般論」を書いた瞬間、採点官の目は曇る。「あなたはどう見るのか」。突きつけられるのは常に、一人称単数の視点だ。誰もが思いつく無難な賛否両論など、本郷のキャンパスでは1点の価値も持たない。自分の弱さや逡巡をも論理に組み込む強靭さが、紙の上で試されている。
自由英作文の要「具体と抽象」の往復運動
点をもぎ取る受験生の答案には、ある共通項がある。抽象的な主張を掲げた直後、驚くほど鮮烈で具体的な情景描写や個別事例へと急降下する。そして再び、普遍的な洞察へと舞い戻る。この往復運動のスピードと切れ味が尋常ではない。
語彙の難易度は関係ない。中学生レベルの平易な動詞――take、put、make、give――を、これ以上ない文脈で使い倒す。難しい単語を辞書から引っ張ってきて貼り付けたような不自然な英文は、一発で見抜かれる。飾らない言葉で、複雑な事象の核心を射抜く技術。それこそが最高峰の教養と見なされる。
要約と和文英訳に潜む「語彙の罠」
自由英作文の陰に隠れがちだが、下線部英訳や要約問題にも、受験生を足止めする巧妙な罠が仕掛けられている。日本語の美辞麗句に惑わされ、一字一句を直訳しようとすれば、即座に袋小路に迷い込む。
「日本語を解体し、概念をむき出しにする」。合格者たちが口を揃えるのは、言語の脱皮プロセスだ。日本語の文脈に甘えた曖昧な主語や論理を、英語という厳格な言語の器に流し込む前に、一度自分の頭の中で咀嚼し直さなければならない。この変換作業をサボった答案は、英語の形をした珍妙な暗号と化す。
大手予備校の看板講師が漏らした焦燥
「もう、教え方を変えるしかない」。都内の大手進学塾で教鞭を執るベテラン講師は、苦笑いを浮かべながらそう呟いた。かつてのように「このフレーズを暗記すれば5点アップ」などという甘い言葉は、もはや通用しない。
授業の現場では今、英文を書かせる前に「日本語で徹底的に議論させる」時間が激増しているという。語学力の問題ではないのだ。論理の筋道、前提を疑う視線、他者の反論を先回りして包摂する柔軟性。英語を教えるはずの教室で、現代文顔負けの思考訓練が繰り広げられている。この地殻変動に適応できない指導法は、静かに淘汰されつつある。
合否を分けるのは「思考の解像度」という真理
結局のところ、勝負を決めるのは何か。語数稼ぎの無意味な形容詞を削ぎ落とし、自らの思考の限界まで鉛筆を走らせた跡があるかどうかだ。東大が見ているのは、英語という道具を借りて展開される、生々しい知性の格闘そのものである。
2026年、知識の偏重が過去の遺物となった世界で、自らの言葉を紡ぎ出す人間の価値はむしろ跳ね上がった。試験用紙の白い空間を埋めるのは、機械の模倣ではない。世界をどのように捉え、他者とどう対話しようとしているのかという、受験生一人ひとりの覚悟なのだ。 (出典: 東大 英 作文(Yahoo!ニュース))